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永田良介商店買取神戸の画像

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■最高級の「神戸家具」を

永田良介商店は神戸で生まれた洋家具の専門店です。

木の豊かさと手作りの味わいを備えた伝統のスタイルと確かな技術を継承しつつ、新しいニーズにお答えすることで満足していただける家具をご提供させていただいております。

当店の家具は欧風でありながら日本人の生活に合うように、例えば和室にも洋室にも合うように、また靴を履かない日本人の生活・体型に合った高さに仕上がるように工夫してお作りするオリジナル家具です。 全ての家具は製図を書き・お見積をさせていただき、お客様にご納得いただいてから製造にかかる完全オーダー家具です。従って店頭の見本とは木目などが違うこともございますが、こういった木目の違いは同じデザインでも一点ずつお作り致しておりますことの証でございます。

店舗・住宅の室内装飾も致しております。室内外のドア・作り付け家具・カーペット・カーテン・照明器具等お客様のご希望をお伺いした上でご提案させ ていただき、ご納得いただけるものをトータルでコーディネートし、お作りさせていただきます。新規・リフォームどちらでもご相談にお伺いいたします。

良い家具はメンテナンスをして長く使っていただくことで環境にもやさしい製品となります。また当店の家具はほとんどWAX仕上げですので、木が呼吸 しております。その為環境によっては狂いが生じる場合もございますのでお買い上げ後のメンテナンスも致しております。生活をともにしてきた家具たちを再度 塗替たり、張替たりすることで、 年月を得てできたクラッシックな良い色となり、心地よい座り心地も戻ってまいります。 そのように使っていただければ100年以上気持ちよく使っていただくことも可能ですし、現実に当店製の100年を越えるアンテイーク家具も残っております。

 

5代目店主
永田耕一

■文明開化、その時代のうねりとともに永田良介商店は生まれました。

港町・神戸の外国人遺留置にて西欧から渡ってきた家具の修理・修正から始まり、国内に西洋文化ブームが広がると「日本人の生活に則した洋風家具」をポリシーに数々の居宅に対し家具を造り続けて参りました。

伝統を感じつつも、常にモダンな永田良介商店のオーダーメイド家具。

あなたのお部屋にいかがですか?

■神戸家具の伝統をあなたに

当店の家具は欧風でありながら日本人の生活に合うように、例えば和室にも洋室にも合うように、また靴を履かない日本人の生活・体型に合った高さに仕上がるように工夫してお作りするオリジナル家具です。 全ての家具は製図を書き・お見積をさせていただき、お客様にご納得いただいてから製造にかかる完全オーダー家具です。従って店頭の見本とは木目などが違うこともございますが、こういった木目の違いは同じデザインでも一点ずつお作り致しておりますことの証でございます。

■神戸で育って130年。永田良介商店の歩み

・1868年神戸開港

外国に開かれることになった神戸の港は、関西圏ではじめて西洋が入る玄関になりました。それにともなって現在の神戸大丸百貨店周辺からフラワーロードにか けた一帯が外国人居留区に指定され、外国商館や洋館が建ちならぶようになりました。居留地の西隣には中国人街(南京町)ができています。時代は明治になり 岐阜(美濃)の禅寺で育った永田良介は20歳になって神戸の寺預かりの身分で神戸にきました。まもなく縁があって居留地にある英国商館に職を得ています。

・1872年創業。

明治5年、英国商館で働いて仕事のヒントを得た初代の永田良介は、居住区の外国人を相手に道具屋業をはじめました。現在の店より少し西側に居を構えて外国人居留地の向かいで欧米の公人や商人が、西欧から持ってきた家具の修理や、帰国の際に道具を引き取ったりする商いです。

椅子やテーブルは、日本の畳式生活には無かった家具ですが、国を挙げた文明開化のうねりの中、役所や会社は西洋式を取り入れるようになっていまし た。日本 人の間にも机・椅子の作業が増えていきました。椅子式にあった家具の必要性はどんどん高まり、また、神戸港に着く外国船の調度品の修理なども頼まれるよう になりました。洋家具のリフォームとリセールを扱う中で、永田商店は、洋家具の製作手法を培いました。

・明治10年 居留地に面する現在地、三宮町へ。

開業から5年目、北側の区画から現在地へ移転。当時の資料をみると元町界隈には、外人居留区向けに多くの洋家具商やで製造工場があったようです。工場と いっても、どこも手作りです。職人達は見よう見まねでまなび技術をつけていったようです。明治の中期には、永田良介商店も古道具商から洋家具商として業務 が確立し洋家具製作が本格的になりました。

明治後期、2代目永田良介が襲名した頃にはイギリスへ家具を輸出するまでになっています。2代目良介は才覚あふれ、木造船の需要が起きたとき、近隣の家具商と共に素早く造船業を起こして成功しました。この資金を持って本業の西洋家具業を大きくし信用力をつけました。

・永田良介商店と「船大工」について

神戸洋家具づくり職人の出自については和船の船大工からの転身が有名で『真木徳助』の職人集団が知られています。永田の場合は洋館から出る中古洋家具の仲 介からはじめています。職人を初代良介の妻の親戚筋である播磨(沿岸)地方から集めたりしていましたので、神戸家具全体の話の中に織り込まれたのかもしれ ないという事です。

・阪神間「洋風生活」にハイカラ家具をご提供

昭和初期、阪神間の素封家の住宅も洋風になってゆきました。
永田では上流階級居宅の家具や内装を多く手がけるようになりました。

3代目の永田善従は昭和5年、当時デザインで先進的だったバウハウスに学ぶためヨーロッパに遊学しました。ドイツだけでなく、イギリスやスウェーデンを訪れた3代目は帰国してのちヨーロッパの気風を職人達の製造現場にも取り入れました。
3代目がヨーロッパから学んで帰った「墨ぼかし」の塗り技法は長い間当店だけの秘伝でした。デザインも今日に受け継がれる永田ティストの基礎となっていま す。 善従はその優れたデザイン力で大阪圏へ進出、大阪堺筋支店を開店させ、日本の商業の中心地であった大阪で認められ著名な洋館建築の内装や雲仙観光ホテルな どの大手の仕事を手がけました。

・戦後再建

残念ながら第二次世界大戦の神戸空襲で店舗は焼失し3代目は戦死しました。
復員してきた設計士たちが焼け跡から再出発して、若い良一郎を支えて戦前からの顧客の家具修理の依頼などをこなしながら厳しい時代をしのぎました。苦労が実って昭和23年、4代目永田良一郎が店舗を再建しました。

・15958年 シアトル博覧会に日本製の西洋家具を出展

日本の輸出振興の一環で昭和33年、神戸の手作り洋家具(現在の神戸家具)屋が神戸木材科学協同組合を結成してアメリカのシアトル博覧会に出品。少ない予 算で出かけた博覧会ですが、好評を博して終了時には家具が完売。4代目良一郎は思わぬお金ができて帰路の運賃確保。ついでにアメリカの家具事情を視察して まわることに。モノに恵まれて豊かな国を目の当たりにする武者修業の旅でもありました。

昭和41年~平成9年、東京日本橋白木屋(元・東急百貨店)に出店しました。
東急百貨店渋谷本店では昭和43ー55年出店しています。
*現在も関東へ定期的に出張し調整・修理にあたっています。

昭和63年 5代目永田耕一社長就任.現在にいたっております。
今では神戸洋家具は『神戸家具』と呼ばれて知られるようになり、
当店も神戸の老舗としてテレビや雑誌で紹介されるようになりました。

■適材適所

無垢材に拘らず長期に亙り信頼できる素材を利用

■アフターサービス

家具を通して、末永いお付き合いを

■ぼかし

流行に左右されない伝統の色合いのひみつ

■コイルスプリング

座り心地を極めた身体に優しいクッション

■地獄組み

世紀を超え、人・モノを支え続ける技術

 

永田良介商店 HP

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